響楽舎について
新潟県燕市を拠点にハンドパン製作の他にハンドパン体験会や講習会など、様々なイベントを行なっている工房兼アトリエ「響楽舎」
工房見学や実際にハンドパンの実物を見てから購入を検討したい方は、お問い合わせフォームより事前連絡をお願いいたします。
時田清正
1998年 東京都板橋区生まれ
2016年 陸上自衛隊機甲科所属
2017年 杣人
2018年9月 ハンドパン制作のため燕三条へ移住
2018年10月 ハンドパン制作開始
2022年6月 ハンドパン工房「響楽舎」設立
屋号について
楽しい器と書いて「楽器」
音の郷と書いて「響く」
器を作り続けてきた燕三条の地場産業である鍛金の
技術と音楽が融合し、新しく生まれた楽器ハンドパン。
たくさんの音色が響く楽しい町になる様に
願ってこの名前にしました。
ロゴについて
ロゴデザインの基となったのは自分と関わりが深いと感じた
二つの家紋を組み合わせました。
一つは、私の父の地元である宮城県仙台市の初代藩主伊達政
宗の家紋「九曜紋」が、基本的なハンドパン(9音)の音階の配
列をイメージできることからデザインのベースとして取り入
れました。
もう一つは、私の清正という名前の由来の一つとなった加藤
清正の家紋「蛇の目」をハンドパンのトーンフィールド部分
に見立てるために取り入れました。
ハンドパン製作のきっかけ
私がハンドパンと初めて出会ったのは、高校生の時でした。
当時同級生で、後に演奏者になるFugaku Youhei君が演奏しているのを見たのが始まりです。
UFOの様な金属の塊から、不思議な音が出ている…
鉄から不思議な音がする!!!!!
なんだこれ!!!
という気持ちが第一印象でした。
なんでこんな綺麗な音が鳴るんだろう?
中に何か入っているんじゃないか??
どうやって出来ているんだろう??
などの疑問が次々と浮かんできたのが、ハンドパンを初めて見たときの気持ちでありとても自分の中では衝撃的な出会いでした。
高校卒業後、僕は音楽から離れて働いていましたが、ハンドパンの事が日に日に気になっていきました。
ある日、2年ぶりにFugaku Youhei君に「あの不思議な楽器を作ってみたいんだけど…」と電話を掛けたところ、
「新潟県の燕三条という金属加工の街があって、そこならハンドパンを作れるかもしれない」という話をいただきました。
その時、新潟に移住してハンドパンを作ることを決意しました。
現在に至るまで
〜製作初期〜
ハンドパン製作初期は、道具も知識も無い状態でスタートをすることになり、まずは形から真似ようとドラム缶の裏側をダンベルで叩いて形成して2年間ほど作っていましたが、一向に音の鳴る気配はありませんでした。
その頃はまだ、音を作るための形作りに対して、何が良くて何が悪いのかもわからず、ただひたすら次こそは次こそは!
と作り続けていました。
失敗が見え隠れしながらも「今度こそ成功させる!!!」と作るたび結局は失敗し、当時は本当に悔しかったです。
〜転機〜
ハンドパンを作り始めて2年目の終わり頃、現在の私の師匠である渡邉和也さんと出会いました。
渡邉さんは燕市の伝統技法、鍛金の技術を駆使し、鍛工舎という個人工房を営んでいます。
金属の扱いのプロである渡邉さんに師匠になって頂き、金属加工の基礎となる鍛金の技術を教わりながら、この2年一緒にハンドパンを製作してきました。
渡邉さんは金属の動きが分かり、私は音の動きを理解できるようになっていき、ハンドパン製作に伝統技法を掛け合わせる事で4年経った今日、燕市産のハンドパンが完成しました。